企画展開催スケジュール
2015年10月9日(金)-21日(水)三回忌 石黒鏘二展
2015-10-08
三回忌 石黒 鏘二 展 -SHOJI ISHIGURO-
6月22日(月)-6月27日(土)
わが友、石黒鏘二
石黒鏘二の彫刻が我が家の玄関に立っている。新築時に拙作油絵と交換した作品だ。この彫刻が、横浜の海から吹き付ける風で破損したことがあった。作者に電話すると、翌日数人の職人がやってきて、元通りにしてくれた。以来、風の強い日は紐で縛ることにしている。その度に石黒鏘二のことを想い出す。
旭丘高校美術科へ入学した時、石黒はすでにデッサンの名手だった。最初の石膏デッサンのコンクールで石黒が1位、私は2位だった。この順位は卒業してからも変わらなかった。石黒は現役で東京芸大へ、私は1浪でというぐあいに。
石黒鏘二のアトリエ開きに招かれた時のことだ。名古屋画廊の中山真一氏にも招待状が届いており、車に同乗させてもらって出かけた。車中でなぜ自分が招かれたのかな、と中山氏がつぶやくので、その時思い出したのである。拙著『プロ美術家になる』を贈った時に示した石黒の反応を。中山氏の画商としての有能ぶり記述した箇所に石黒はいたく心を動かされた様子だったのだ。
アトリエ開きからしばらくして、中山氏のもとに、石黒から何点かの寄贈作品が届いたという報告を受けた。今回の遺作展はその時の石黒鏘二の志を中山氏が受け止めて実現したものと思われる。どんな展観になるのか、楽しみである。
旭丘高校美術科へ入学した時、石黒はすでにデッサンの名手だった。最初の石膏デッサンのコンクールで石黒が1位、私は2位だった。この順位は卒業してからも変わらなかった。石黒は現役で東京芸大へ、私は1浪でというぐあいに。
石黒鏘二のアトリエ開きに招かれた時のことだ。名古屋画廊の中山真一氏にも招待状が届いており、車に同乗させてもらって出かけた。車中でなぜ自分が招かれたのかな、と中山氏がつぶやくので、その時思い出したのである。拙著『プロ美術家になる』を贈った時に示した石黒の反応を。中山氏の画商としての有能ぶり記述した箇所に石黒はいたく心を動かされた様子だったのだ。
アトリエ開きからしばらくして、中山氏のもとに、石黒から何点かの寄贈作品が届いたという報告を受けた。今回の遺作展はその時の石黒鏘二の志を中山氏が受け止めて実現したものと思われる。どんな展観になるのか、楽しみである。
佐々木豊(ささき ゆたか画家)
略歴
1935/名古屋市生。54/愛知県立旭丘高校美術科卒。58/東京芸大彫刻科(石井鶴三教室)卒。67/名古屋造形芸術短大(現・名古屋造形大)開学とともに彫刻コースの専任講師(79教授、98~06学長)。68/行動美術協会会員。69/ジャパン・アートフェスティバル(東京国立近代美術館/パリ、ミュンヘンへ巡回)。72/桜画廊個展(以後4回)。73/第1回ラベンナ・ダンテスカ国際ビエンナーレ(フィレンツェ)〈金賞〉。79/第1回ヘンリー・ムア大賞展(箱根・彫刻の森美術館)〈佳作賞〉。85/現代日本彫刻展(宇部)〈宇部市野外彫刻美術館賞〉。09/名古屋市芸術特賞。13/石黒鏘二展(碧南市藤井達吉現代美術館)、逝去(78歳)。