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株式会社名古屋画廊
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企画展開催スケジュール

4月8日(土)-4月15日(土)里見 勝蔵 展 -ヴラマンクから日本的フォーヴィスムへ-
《青年像》1924年 12F(60.5x50.3cm)油彩・キャンバス
里見 勝蔵 展
OKATSUZO SATOMI
―ヴラマンクから日本的フォーヴィスムへ―
4月8日[土]-15日[土]’23
11:00a.m.-6:00p.m. 日・祝休廊
(土曜日 12:00p.m.-5:00p.m.)
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■画は固生物である         里見勝蔵
 …当時の画家で、外国で描いて来た画は面白いが、日本で描いた画は、一向見映えがしないのが多かった。人はそれを―メッキがはげた―といった。
 日本で描いた作品が、外国で描いたものよりいいという画家は、誠に稀であった。僕にはその転換が、比較的よく出来たと思っている。
 風景画家といわれた、ヴラマンクに師事して、僕はフランスで風景を描いたのだが、あの手法で日本の風景を描きこなす事が出来なかった。それでヴラマンクの色調から離れて、原色調で人物と静物を描く事によって、ヴラマンクの影響から逃れ、独自の表現を次第に構成する事が出来た。
 そして1954年から58年まで、再度の渡欧で、80才の老師に再会し、改めて風景を研究し、僕の風景が出来るまでに10年を要した訳である。
 それでつくづくと思う事は、人はよき友をもち、偉大な人に接し、よき事を多く学び、それをよく消化する事によって個性が養われるのだ。しかも、受けた影響が大きければ大きい程、学びが多ければ多い程、大きな個性を養う事が出来るのである。…       
『里見勝蔵第一回自選展』(日本橋三越、1968年)図録より。


■略歴:1895/京都市生。14/東京美術学校入学(19/同卒業)。在学中、のち池袋モンパルナスと呼ばれる地域で中心的な画家となる。セザンヌやファン・ゴッホに傾倒。17/二科展初入選。21~25/滞欧。ヴラマンクに出会う。パリの若き日本人画家の中心的な存在となる。ファン・ゴッホ研究に励む。25/二科展〈樗牛賞〉。26/パリでの交遊が発展し、佐伯祐三や前田寛治らと「1930年協会」を創立。27/二科展〈二科賞〉。29/二科会会員。30/伊藤廉や児島善三郎、三岸好太郎らと「独立美術協会」を創立。54/国画会会員。54~58/滞欧。72/矢橋六郎ら同志と「写実画壇」を創立。81/逝去(86歳)。

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