企画展開催スケジュール
2016年5月30日(月)-6月8日(水)横井礼以展
2016-04-01
生誕130年 画集刊行記念 横井 礼以 展 REII YOKOI
―前衛から「心象」へ―
―前衛から「心象」へ―
5月30日(月)-6月8日(水)
横井礼以の芸術:前衛から「心象」へ
青空に舞い上がる《揚げ雲雀》。ピーチクパーチク、ピーチクパーチク、賑やかに囀る雲雀だけを描いた大胆な構図の作品である。長閑な春の風物詩であるが、この作品が1941(昭和16)年に制作されたことを知ると、また別の違った感慨も生まれる。日本が太平洋戦争へと突き進んだ年の春も、《揚げ雲雀》は空高く舞っていたのである。
東京美術学校に学んだ横井礼以は、当時、最尖端の前衛絵画(フォーヴィスムやキュビスム)に取り組んで、二科会の新鋭画家として活躍をはじめた。しかし、眼疾悪化のために名古屋に帰郷した頃から次第に、自由で素朴な画風へと移行して、日常生活のなかで目にした身近な光景から発想した「心象」を、ユーモラスな作品として制作するようになった。昔話「さるかに合戦」を主題とした連作に描かれた猿と蟹をはじめとして、燕や雛、蜻蛉や蝉、鰐や亀など、小さな動物や昆虫などが暮らす世界を優しく眺めるなかで、柔らかく朧げな画風が完成された。
横井礼以の芸術の軌跡は、日本の近代絵画の歴史のなかで、大きく緩やかな弧を描いて、前衛から「心象」へと展開したのである。
青空に舞い上がる《揚げ雲雀》。ピーチクパーチク、ピーチクパーチク、賑やかに囀る雲雀だけを描いた大胆な構図の作品である。長閑な春の風物詩であるが、この作品が1941(昭和16)年に制作されたことを知ると、また別の違った感慨も生まれる。日本が太平洋戦争へと突き進んだ年の春も、《揚げ雲雀》は空高く舞っていたのである。
東京美術学校に学んだ横井礼以は、当時、最尖端の前衛絵画(フォーヴィスムやキュビスム)に取り組んで、二科会の新鋭画家として活躍をはじめた。しかし、眼疾悪化のために名古屋に帰郷した頃から次第に、自由で素朴な画風へと移行して、日常生活のなかで目にした身近な光景から発想した「心象」を、ユーモラスな作品として制作するようになった。昔話「さるかに合戦」を主題とした連作に描かれた猿と蟹をはじめとして、燕や雛、蜻蛉や蝉、鰐や亀など、小さな動物や昆虫などが暮らす世界を優しく眺めるなかで、柔らかく朧げな画風が完成された。
横井礼以の芸術の軌跡は、日本の近代絵画の歴史のなかで、大きく緩やかな弧を描いて、前衛から「心象」へと展開したのである。
山田 諭(名古屋市美術館学芸員)
略歴
1886/愛知県(現)弥富市生。1912/東京美術学校(現・東京藝術大学)卒。14・15/文展入選。17/二科展初入選。19/二科展〈二科賞〉。23/二科会会員となる。30/名古屋市に新設された緑ヶ丘中央洋画研究所の「指導主任」となる。47/二紀会創立に参加。50/中日文化賞。60/画集刊行。67/名古屋造形芸術短期大学(現・名古屋造形大学)開学とともに名誉教授となる。76/「キュービズム展」(東京国立近代美術館ほか)に《庭》が出品される(同作品はその後「1920年代・日本展」(東京都美術館ほか)などにも出品される)。80/逝去(93歳)。87・05/横井礼以展(名古屋画廊)。