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株式会社名古屋画廊
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企画展開催スケジュール

9月24日(金)-10月9日(土)久野 真 展
《鋼鉄による作品 長い手紙-4》
《鋼鉄による作品 長い手紙 - 4》1988年 ステンレススチール、パネル 100.0×655.0cm
生誕100年 久野 真 展
SHIN KUNO
―ステンレス-平面へのこだわり
9月24日[金]-10月9日[土]’21
11:00a.m.-6:00p.m. 日・祝休廊
(土曜日 12:00p.m.-5:00p.m.)
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■恩師・久野真先生                       和泉俊昭
 1956年、名古屋市立工芸高等学校の産業美術科(現デザイン科)に入学して久野真先生の教えを受けた。ある日、久野先生の制作と完成までの過程を見た。その時の印象がたいへん強かったので、その後の私の人生に大きな影響を与えた。
 やがて久野先生は石膏から鉄、鉛、ステンレスに素材が移り、海外には平面のメタルアーチストとして知られるようになってゆく。久野先生は学徒出陣で海軍の特攻機に乗っていて、出撃間近になって終戦になり命拾いしたと聞いたことがある。ステンレスの鈍く銀色に光る無機質の質感が久野先生の戦争体験を反映しているように見える。
 70年代になってステンレス作品は鋭く切られた直線が交差し奥行きが出て、より立体作品に近づいたように見えた。ある時、久野先生にこの先、立体になってゆくのですかと尋ねると、久野先生から平面だからいいのだよと一言なぞの言葉を戴いた。一本筋が通った人でした。
 当時、多くのアーチストが東京や海外へ移ってゆく中で、地元名古屋で最後まで創作活動を通して国際作家として認められた人は久野先生しかいないと思います。私は久野先生を尊敬しつつもその影響力から逃れたかった。1968年アメリカへ渡り木彫を始め、74年中南米の旅の地でマヤ・アステカの古代遺跡に遭遇し、帰国して石彫作家としてデビューした。(彫刻家)

■略歴
1921/名古屋市生。61/ピッツバーグ国際美術展(カーネギー財団主催)。61~98/個展(東京画廊11回)、61~93/個展(桜画廊9回)。64/現代日本美術展(ワシントン・コーコン美術館)。65/新しい日本の絵画彫刻展(サンフランシスコ美術館)。66~67/ニューヨーク滞在。69/日本作家によるドローイング展(ロサンゼルス市立美術館、サンフランシスコ市立美術館)。73/個展(ビリアーズ画廊、シドニー)。日本現代美術展(N.S.W.州立美術館、シドニー)。個展(リアリティ画廊、メルボルン)。86/瞑想と戯れの抽象絵画展(奈良県立美術館)。日本現代美術展(台北市立美術館)。98/久野真・庄司達展(愛知県美術館)、逝去(77歳)。02/常設企画展久野真展(名古屋市美術館)。09/現代の絵画(碧南市藤井達吉現代美術館)。10・16・19・21/個展(名古屋画廊)。13/久野真とその時代展(長久手市文化の家)。19/アイチアートクロニクル1919-2019(愛知県美術館)、久野真展-Metal Works -(刈谷市美術館)。所蔵:東京国立近代美術館、愛知県美術館、大原美術館、ニューヨーク近代美術館、カーネギー美術館ほか。


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