1942年~1945年
■1942年(昭和17年)
6/10 | 作家のギャラリー 美交社名古屋支店開廊 |
6/10~6/16 | 開設披露展覧会 |
6/10~6/16 | 開設披露展覧会 青山義雄、有島生馬、石川寅治、石井柏亭、木下孝則、熊谷守一、児島善三郎、田辺至、中沢弘光、長谷川昇、藤島武二、牧野虎雄、安井曽太郎、山下新太郎、和田三造 |
6/26~6/30 | 第6回 一水会春季小品展覧会 有馬生馬、池部鈞、石井柏亭、木下孝則、木下義謙、小山敬三、高野三三男、田崎広助、中村善策、硲伊之助、安井曽太郎、安宅虎雄、山下新太郎 |
7/11~7/15 | 石川滋彦画伯個人展 |
7/19~7/23 | 山下新太郎先生近作個人展 |
9/1~9/5 | 鈴木信太郎近作展 |
9/16~9/21 | 石井柏亭画伯近作展覧会 |
10/19~10/23 | 石川欽一郎先生近作展 |
10/30~11/5 | 荒谷直之介水彩人物画展 |
11/16~11/20 | 眞野紀太郎画伯近作水彩画展覧会 |
11/24~11/28 | 田中繁吉展 |
12/1~12/5 | 木下孝則画伯近作個人展 |
12/11~12/15 | 青山義雄画伯近作展覧会 |
12/22~12/25 | 石川寅治先生近作展覧会 |
■1943年 (昭和18)
3/18~3/24 | 有島生馬先生近作画鑑賞会 |
4/23~4/29 | 石川欽一郎画伯水彩画近作展 |
5/10~5/14 | 帝国芸術院会員作品鑑賞会 有島生馬、石井柏亭、梅原龍三郎、小杉放庵(未醒)、小林万吾、中沢弘光、中村不折、藤島武二、藤田嗣治、南薫造、安井曽太郎、山下新太郎、和田英作、和田三造 ※開廊一周年記念 |
5/19~5/25 | 石川滋彦画伯南方展 |
6/19~6/24 | 松島一郎画伯近作発表展 |
6/30~7/4 | 辻愛造画伯近作展 |
7/7~7/12 | 一水会会員春季展覧会 有島生馬、安宅虎雄、石井柏亭、池部鈞、木下孝則、木下義謙、小山敬三、 高野三三男、近藤光紀、田崎広助、硲伊之助、中村善策、中村琢二、安井曽太郎、山下新太郎 |
7/23~7/26 | 壮潮会展 池野寿彦、伊藤清永、伊藤鎗一、岩月光金、江口晴朗、小川博史、高木春太郎、竹岡良太郎、田中義男、谷沢一郎、森新市、山本道乗 ※第3回展。第2回展までは大阪本店のみで開催。 |
9/20~9/26 | 石川滋彦画伯淡彩南方風物画展 |
10/11~10/15 | 池部鈞画伯風俗展 |
11/2~11/6 | 新制作派協会会員小品展 伊勢正義、伊藤継郎、猪熊弦一郎、今村俊夫、内田巌、内田武夫、荻須高徳、小磯良平、小松益喜、坂井範一、佐藤敬、鈴木誠、竹谷富士雄、中西利雄、 三岸節子、三田康、脇田和 |
11/22~11/27 | 荒谷直之介水彩人物画展 |
12/6~12/12 | 一星会油画展覧会 |
12/6~12/12 | 一星会油画展覧会 青山義雄、有島生馬、石井柏亭、梅原龍三郎、木下孝則、田辺 至、長谷川昇、安井曽太郎、山下新太郎 |
12/23~12/27 | 鈴木栄二郎画伯フィリッピン風物スケッチ展 |
1944年 (昭和19)
4/20~4/26 | 山下新太郎近作発表展 |
5/22~5/28 | 高橋亮南方戦線従軍展 |
6/5~6/11 | 第8回一水会春季小品展覧会 有島生馬、安宅虎雄、石井柏亭、池部鈞、木下孝則、木下義謙、小山敬三、 高野三三男、近藤光紀、田崎広助、硲伊之助、中村善策、中村琢二、 安井曽太郎、山下新太郎 |
6/17 ~6/23 | 辻愛造画伯近作展 |
7/15 ~7/21 | 巡回慰問美術展覧会(第一班) 石井柏亭、石川寅治、長谷川昇、田辺至、中沢弘光、中川一政、野口弥太郎、山下新太郎、牧野虎雄、小絲源太郎、児島善三郎、寺内万治郎、有島生馬、木下孝則、白瀧幾之助、鈴木信太郎 |
7/27~7/31 | 第4回壮潮会展 伊藤清永、伊藤鎗一、岩月光金、江口晴朗、小川博史、熊沢欽三、高木春太郎、 竹岡良太郎、田中義夫、谷沢一郎、森新市、山本道乗 |
10/1~10/6 | 巡回慰問美術展覧会(第二班) 石井柏亭、池部鈞、荻須高徳、山下新太郎、松島一郎、小山敬三、児島善三郎、寺内万治郎、有島生馬、青山義雄、木下孝則、木村荘八、耳野卯三郎、須田国太郎、鈴木信太郎 |
10/17~10/21 | 児島善三郎画伯油画小品展 |
12/3~12/7 | 青山義雄画伯近作小品展 |
12/12~12/17 | 石井柏亭先生近作小品展(戦局悪化のため中止。案内状は存在。) |
12/21~12/25 | 野口弥太郎画伯近作小品展(戦局悪化のため中止。案内状は存在。) |
■1945年 (昭和20)
3月19日の名古屋大空襲にて画廊を焼失する。以後1947年(昭22)2月10日まで中区不二見町の自宅を一部画廊に改装するなどして画廊活動を続ける。活動の主たるひとつは「巡回慰問美術展覧会」であり、同展は「特攻精神高揚展覧会」と名称変更されるなどして終戦間際まで開催された。